三弘法めぐり③東寺
東寺(教王護国寺)
●真言宗の総本山。
●本尊は、薬師如来。
五重塔
●木造塔では、日本一。
●京都でも、シンボル的存在。
現在の五重塔は5代目。
寛永21年(1644年)に、徳川家光の寄進で建てられたものです。1~4代は、落雷や不審火で焼失している。
金堂
文明18年(1486年)の土一揆による火災で焼失しました。
その後、1世紀近く再建された。現存の建物は、慶長8年に豊臣秀頼の寄進によって再建した。中には、見上げるような大きい本尊の薬師如来坐像と日光菩薩、月光菩薩の両脇侍像が安置されています。
講堂
堂は文明18年(1486年)の土一揆による火災で焼失し、室町時代の延徳3年(1491年)に再建されました。全部で21体の彫像が整然と安置されており、実際に見ると圧巻です。
夜の東寺
入館料1000円以上だが、価値のある景色!。
光に照らされて、紅葉や五重塔など本当に綺麗でした。11月24日の時点では、青い紅葉もあったので一週間くらいしたらもっと赤くなっていると思います。
*2018年のことです
ライトアップ時期は、本当に早くいかないと長蛇の列でかなりの時間待ち、人が多いため子供や足の悪い高齢者には適さないなと思いました。しかし、行って後悔することはないと思います。
京都 三弘法めぐり②仁和寺
道順
西賀茂車庫前行
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千本北大路下車
↓
市営59山越中町行
↓
仁和寺下車
仁和寺とは
●真言宗御室派の総本山
●皇室の出身者が仁和寺の代々門跡(住職)を務める。
出家後の宇多法皇が住したことから、「御室御所」と称された
※御室=貴人の住まい
仁和寺は 仁和2年 (886年 )第58代 光孝天皇 によって 西山御願寺 の建立を発願されたことに始まる。 しかし 翌年 光孝天皇は 崩御され 宇多天皇が先帝の遺志を継いで、仁和4年( 888年)に完成させた 。 寺号も元号から 仁和寺となりました。
宇多天皇は 、寛平 9年(897年)譲位後に出家し仁和寺 第一世宇多法皇となります。 以降は皇室の出身者が仁和寺の代々住職を務め平安から鎌倉期には紋石寺院として最高の格式を保ちました 。
しかし 応仁元年 (1467年)に始まった応仁の乱で仁和寺は 一山のほとんどを戦火で消失してしまいました。そんな中、本尊の阿弥陀三尊を始め 什物・聖教などは仁和寺の院家であった 真光院に移され 法燈とともに伝えられていきました
応仁の乱から160年後の寛永11年 、再建の機会が訪れ 御所から紫宸殿(現在︰金堂)清涼殿( 御影堂) など多くの建造物か下賜され 正保3年 伽藍の再建が終了 した。
仁王門
バスを下車して、圧倒されるような仁王門が目に飛び込んでくる。三代将軍家光によって、1641年(寛永18年)~1645年(正保2年)頃に建立された。
ここは桜が有名ですが、紅葉も見事でした。
京都 三弘法めぐり①神光院
母が「四国八十八ヶ所の巡礼」を終えたので、三弘法めぐり行くよと言ったのをきっかけに行きました。
門の左側に、トイレ。
足元には、良い感じの苔?が。
愛媛旅行(今治城と来島海峡大橋)
別名(吹上城)
●今治は、高虎が「今から
この地を治める」の意を
れたと言われている
●藤堂高虎が、築城した
日本三大水城のひとつ!
今治城の歴史
慶長9年(1604年)に、完成。
↓
しかし、明治4年(1871年)に火災が発生した際、内部の火薬に居んかして爆発炎上して破壊。
↓
現在は、内堀がほぼ江戸時代の姿を残している。また、1980年に天守閣が建てられた。
*しかし今治城は、当初の建築物の実在につては資料が少ないため資料に基づかない模擬天守閣。
*元の天守閣の位置は、隣の神社にあったと言われている(他施設の案内員さんより)
感想
色々な、角度から見ることができるので
城の周りを歩くだけでも楽しめます。
特に春頃は、桜と雪柳が綺麗に咲いているのでおすすめです。
糸山公園
●日本三大潮流の来島海峡
●朝と昼の絶景が楽しめる
来島海峡大橋は1999年5月に約9年の歳月をかけて完成。
西瀬戸自動車道の中でいちばん大きな橋で、世界初の三連吊り橋。
朝の来島海峡
桜の頃の駐車場
桜と橋がセットで見える
感想
少し早起きして、来る価値はあります。
絶景でした。ここは、霧がかかると橋が浮かぶように見えるのも有名なので、次はぜひ見てみたいです。(3〜7月くらいの朝方に発生しやすいみたい)
大分・臼杵磨崖仏に行ってきた!
1.磨崖仏(まがいぶつ)とは?
自然の巨石や岩壁に、彫刻した石像のこと。日本では、磨崖仏像は平安時代初期、滋賀県の三尊磨崖仏が日本で古い磨崖仏とされている。また、大分に全国の6~7割が集中している。
1962年 (昭和37年)国の重要文化財に指定。
1995年 (平成7年)国宝に指定。
2017年 (平成29年)金剛力士像が国宝に指定。
臼杵磨崖仏の 作られた時代
大分・臼杵には、「真名長者伝説」があり亡くなった娘を弔うために長者が彫らせたとされている。
この伝説では用明天皇が登場し、6世紀後半が舞台。しかし、仏像の様式から平安時代後期~鎌倉時代にかけて彫られたと考えられている。
2.忘れられた磨崖仏
磨崖仏は、山岳仏教の衰退とともに忘れられ長い間暴風雨に曝されることになった。臼杵の磨崖仏は、凝灰岩という阿蘇山からの火砕流が溶結した凝灰岩で作られているため脆く、現在では多くの石仏の下半身が風雨により削り取られている。また、仏群の大日如来の仏頭は、脱落し1993年に保存が完了するまで石仏の足元に置かれていた。
磨崖仏の豆知識
● ホキ = 崖地を意味する地名。
● 龕(がん)=石窟や家屋の壁面 に、仏像・仏具を納めるため設けたくぼみ。
3.臼杵の4つの石仏群
①ホキ石仏第1群(ほきせきぶつだいいちぐん)
②ホキ石仏第2群(ほきせきぶつだいにぐん)
訪れた時は、工事期間中でした。
2018/9/1(土)~2019/3/31(日)
その代わりに、入場料は大人430円(普段540円)と安くなっていました。
③山王山石仏(さんのうざんせきぶつ)
中央に丈六の如来像と左右に脇侍の様に如来を刻む三体の如来像で構成されている。仏像の顔は輪郭が丸く、目鼻はこじんまりとして童児のそれをおもわせる。
④古園石仏(ふるぞのせきぶつ)
古園石仏は、大日如来像を中心とする曼荼羅を構成し整然とした陣容をそなえる。臼杵石仏の中心的存在。修復前は、仏頭は脱落していたが、現在は修復し元の位置に戻されている。再び頭と体をつなげたことで会社で解雇(リストラ)されない御利益があると言われている。
(修復後)
4.磨崖仏と合わせて行きたい深田の鳥居(ふかたのとりい)
徒歩5分以内の場所にある、凝灰岩でできた鳥居。詳しい由来は、分かっていないが微かに「王」という文字が刻まれているのを発見されている。そのため、日吉神社(山王社とも呼ばれる)と関係があると考えられている。(案内員さん曰く)
私が、訪れたときはコスモスが咲き誇っていました。近所の方が、お世話しているようで季節ごとに違う姿を見れるそうです。
5.臼杵磨崖仏に行くときに注意
● 坂と階段が、多いため歩きやすい靴がよい
*各所に、座る場所はある
● バスが、1時間に1回程度なので出発時刻に注意
● ボランティアガイドが、いますが要予約
*音声ガイドシステムがあるため、スマートフォンで聞くことができる
ありがとうございました(^▽^)/
夜に輝く竹細工「うすきの竹宵」
開催日:11月第一土曜日・日曜日
●うすき竹宵では、般若姫の御霊が両親と娘の待つ臼杵へ里帰りをする伝説を再現した「般若姫行列」が、2日間開催されている。
●二王座などの町並みに「竹ぼんぼり」が灯され、般若姫行列などが行われる。
1.般若姫伝説(真名長者伝説)
皇子(後の用明天皇)と美しい長者の娘(般若姫)が、結婚した。皇子は、天皇の崩御により都へ帰ることになり、身重であった娘に「男の子が生まれれば跡継ぎとして一緒に都へ、女の子なら長者の跡継ぎとして残して姫ひとりで来なさい」と言い残した。
女の子が、生まれた為娘一人で船に乗り都へ向かう。しかし、嵐で命を落としてしまう。「うすき竹宵」は、般若姫の御霊が里帰りしているものを行列として現わしている。
2.幻想的に灯る「竹ぼんぼり」
竹宵のマップを、手にして各箇所を巡ってみた!
戦国武将・大友宗麟が築城した「臼杵城(跡)」や、国の都市景100選にも選ばれた「仁王座界隈」など、臼杵市には歴史ある建築物が多くあります。
これに加え、九州に2つしかない木造の三重塔を擁す「龍原寺」などのお寺が数多くあり、これら30か所に竹灯篭の巨大オブジェや灯篭が設置されています。
*今年(2018年)は、お城では飾りをしてませんでした。
(よかった点)
●デザインが凝っており、夜が華やか
●歴史を、感じなが散策できる
●毎年趣向を、凝らしたデザインの「竹ぼんぼり」とっても綺麗
3.おいしい食べ物
写真がブレブレですが、サザエ2つとカキです。これが、なんと500円で食べられました。
お値段も味もとても美味しかったです。他にも、ふぐ天ぷらや冠地鶏のから揚げ等その土地の食材を堪能することができました(^▽^)/。
4.少し気を付けたいこと
●11月の夜のため、防寒具は忘れずに。寒そうにしている人も、多々見かけました
●場所によっては、かなり足元が暗い場所があるので小さいお子さんやお年寄りの方は注意したほうがよいです
●人気スポットは、早めに行くことをお勧めします。暗くなってから、行ったのですが40分ほど待ちました
美味しい食べ物や見どころ満載で、大満足の旅でした。
また、来年も行きたいです。(⌒∇⌒)